2009年08月31日

平成21年9月 休診のお知らせ

◇◆◇平成21年9月の休診のおしらせ◇◆◇

9月24日(木)は、午前は営業をいたします。午後は、研修の為、休診とさせていただきます。

以上間違えないようにお願いします。   


Posted by 久保田さん  at 17:35Comments(0)施術(治療を行う日)の変更

2009年08月28日

祈りをささげても病気は治らない!!

人間は、正しいと思ったことが何回やっても通じなくなると、正しく思っていたことに対して疑問に持つようです。

 病気の考え方も同様で、当初病気は神や鬼神の仕業と考え、それを祈祷などで鎮める巫女(シャーマン)が登場してきました。

 その当時、もっぱら医療に従事する巫女を『毉』と一字で表していました。

 まさに医者は、巫女さん達だたのです。

 やがて、お酒類が医薬に用いられると医者を表す文字も『毉』から『醫』に変化します。

 ちなみに『醫』と言う文字は、漢和辞典では「酒ツボに薬草を入れて、薬酒を作り出すことを示す」となっています。

 つまり、薬を用いた医療を専門とした医者が出現したということです。

 また、殷(日本では縄文時代)から始まった祈祷も始皇帝が中国統一した秦の時代(日本では弥生時代)になると、当時の有識者たちが「近頃は、ト筮や祈禱を盛んに行うのでいよいよ病気が多くなってしまった。」(呂氏春秋より)と言っています。

 このことから、殷の農耕の時代から秦の時代の戦国時代にかけて文明が発達して病気を治す手段を見つけ出したと考えられます。

 その一つが、先程医師の文字が変わったお酒を薬として用いたことに始まっていると思います。

 そして、薬を手に入れて自分で病気を治すことができるようになった人々は「病気になっても神様に祈りをささげなくても、治す手段はあるのだから、祈祷しなくてもよいのではないか」と思ったのではと、私は考えるのです。

 さて、文明が発展して様々な道具が使えるようになると、病気の治す手段が発見します。その代表として、古代中国では薬草や鍼灸・按摩などが上げられると思います。

 でも、病気を治す手段は見つかったけれども、どうして病気が起こるのかわかりません。

 そこで、古代中国人は独特の病気のメカニズムを考え出します。

 その基本になる物が『気』です。

 これから、この『気』を中心とした中国伝統医学に変化していく様子を皆さんに解説していきたいと思います。
  


Posted by 久保田さん  at 15:06Comments(0)鍼灸コラム

2009年08月26日

雷は、昔「神鳴り」と呼ばれていた。

これまで、自然災害や伝染病が神と鬼神の仕業と大昔の人が考えていたと説明しました。

 でも、身近な例を上げってこなかったので、皆さんにはピンとこなかった方もいるのではないでしょうか?

 そんな中、平成21年8月20日静岡新聞 月刊こどもかがく新聞の中に興味ある記事が掲載されていましたので、皆さんに御紹介したいと思います。

 それは、『雷は「神鳴り」と呼ばれており、神様が鳴らすものだと大昔は考えられていた。』と言うのです。

 これは、自然の現象を神の仕業と昔の人が考えていた一場面ではないでしょうか。

 でも、なぜここで神が登場したのでしょうか?

 話は別のとこへ展開しますが、「僕らの時代」というテレビのトーク番組に、イラストレーター・作家のリリー・フランキーさんが出演したときに、少しだけ雷に触れた話をしていました。

 それは以下のような感じでした。

 「今、40代女性のことをアラフォーと読んでいるが、あれは単なるおばさんじゃない。ほかに草食系とかあるけど、わからないものに名前をつけてかたずけようとする風潮がある。雷なんかも、カミナリと言わなければ怖いものになる。」

 なるほど、りりーさんの言うとおり人間は得体のしれないことに直面したときに、何かに例える或いは何かの仕業と考えることで、安心を得ようとする心理があると考えられます。

 だから、最初雷は“得たいのしれない怖い現象を起こすのは神である”と考えて、「神鳴り」と呼ばれていたのではないでしょうか。

 いずれにしても大昔の人々は、神に原因を求め、それを鎮めてくれるシャーマン(巫女)がいることで、安心して生活しようとしたと考えます。

 しかし、文明が発達して新しい便利の道具ができると人の考えも変わるものです。

 その道具の発達により、現代では雷のメカニズムも解明されています。

 そのように、文明が発達すると新しい道具が生み出され、さらに新しいことが可能になるにつれて、古代中国の医療も少し変化を見せるようになります。

 次回は、祈りから医療に転換していく様子をお話をしていきたいと思います。

  


Posted by 久保田さん  at 14:58Comments(0)鍼灸コラム

2009年08月24日

なぜ、シャーマンは女性が多いのか?(2)

なぜ、シャーマンは女性に多いのか?”という疑問に対して、「女」という漢字の語源から考えてみました。
 
 それによりますと「女」という感じ自体に神に仕える要素があったことがわかりました。

 でもなぜ、初めから女性が神に使える人だったのでしょうか?

 そこで、今回は、私の意見をお話しいと思います。

 以前、NHKスペシャルで、「男女の性差」という番組が放送されました。

 それによりますと、古代男性は狩りを主としていたため、獲物が逃げて追いかけ捕まえた場所から家を戻ってくるために、空間認知能力が発達したといわれています。

 一方女性は、男性の猟の留守を守り、グループの女性と伴にに畑仕事や子供の世話をしていたと放送されてました。

 このグループですが、最初は男女と子供が一つの単位でしたが、マンモスや大きな獲物を捕まえるようになると、大勢に人の力が必要になってくるので、グループが形成されたと推測されます。

 さて、グループを組んで男同士と女性同士が仕事をすると、男性の場合は同じグループで仕事をしていても獲物を追いかけているので、常に変化があります。

 時には、メンバーと四方に別れて、個人で獲物を追うことがあり、チームプレイといっても個人で動くことがありました。

 そして、その中にリーダーがいて、指示を受けながら目標の獲物をとろうと一直線に行動します。

 ですから、男性は権威に敏感であり、目標達成能力が強い反面、周囲に気をつかうことを苦手するようです。

 一方女性は、男性の留守を預かり、留守を守る女性同士のメンバーと一緒に仕事をし、子育てをします。

 そうなると、皆が仲良く仕事をするには、気遣いが必要になります。

 加えて、子供の面倒をみることは、子供の異変も感じとらなければいけません。

 そこから、感受性が成長し、やがて女性特有の第六感というものが発達したのではないでしょうか。

 話は変わりますが、古代自然の変化は予想できないもので、神の仕業と考えられていました。

 私は、女性の感受性の高さが神のご機嫌を伺うことができると古代の人々が考えたのではないかと推測します。

 だからこそ、女性をシャーマン(巫女)として採用し、神の怒りを静める祭りを仕切らせたとのでは?

 と思います。

  


Posted by 久保田さん  at 15:01Comments(0)鍼灸コラム

2009年08月21日

なぜ、シャーマンは女性が多いのか?(1)

 前にもお話をしましたが、古代中国人は、自然災害や伝染病などを“神の仕業”と考え、その神の怒りを静めるために、祈祷(きとう)や祭事(さいじ)をするようになったことを言いました。

 その祈祷や祭事を任されていたのが、シャーマンと呼ばれる人達です。

 このシャーマンと呼ばれる人達は、巫女つまり女性が多く活躍した時代です。

 ちなみに男性は、「覡(ゲキ)」と呼ばれていたそうです。

 でも、なんで、女性が多かったのでしょうか?

 そのことを考える上で、漢字から読み解くと面白いことがわかります。

 静岡新聞に現在連載中の「漢字物語 白川静文学入門」には「女」の文字の語源を説明したコラムがありました。(下の図はコラムの切り抜きです。)



 「女」という文字は、手を突いてひざまづいている女性の姿を表しているそうです。

 また、「女」の古代文字には、水滴のような点々がついているそうです。この滴は、お酒です。

 お酒で、女性を清めている字形で、それは神に仕える時の姿です。

 つまり、女性がひざまずいているのは、男性ではなく、神様の前ということです。

 ですから、古代の女性は、男性に仕えるのではなく、神に仕える人を示したと言うことです。

 このことから、今も昔も男性は、女性に対して大きな勘違い(女性が男性に仕えるという考え方)をしているのかもしれません。(笑い)
 
 今回は、これくらいにして、また次回同じことを別の角度からお話したいと思います。

  


Posted by 久保田さん  at 14:24Comments(0)鍼灸コラム

2009年08月18日

自然の驚異に脅える古代中国人

最近、地球温暖化による環境破壊の深刻さを訴えるニュースが多くなってきました。

 アメリカでは、温暖化をテーマにした映画が話題になりました。

 このまま温暖化が進めば、人類の住む場所もなくってしまうことも心配されています。

 現代の私達は、自然災害があったとしても、最小限に傷を押さえて、早い段階に元の生活に戻れるような世界に生きています。

 これらは、周囲との助け合いと文明が発達したおかげで、安心して生活ができるようになりました。

 人類は長い歴史の中で、自然災害を観察・研究して、新しい文明を生み出し、自分達の生活しやすい地球にしてしまったとも言えます。

 そして、現在は人間の文明と地球の自然バランスが崩れ、人間の文明が暴走した結果、地球温暖化をまねいたのかもしれません。

 それだけ現代の私達は、自然を克服できると思い、日頃自然の驚異に関心を持ちません。

 そうすると人類の発展は、まず自然の驚異を克服してきたところから始まったと思われます。

 逆に考えると、古代の人達は、自然災害を克服できずに悩んでいたことが考えられます。

 話は変わりますが、古代中国の殷(いん)の時代でも同様なことが読み取れます。

 殷の時代は、農業が定着し、青銅器が持ちられるなど一大文明が開化したときと言われています。

 ですから、自然災害が起こると作物が収穫できず、生活できなくなります。

 また、この時代に人達は、季節や天候により、発症する伝染病などを経験します。

 この事から、自然の驚異に脅え、その仕業が神や鬼神の仕業と思われていました。

 そこで、この神々のご機嫌をそこねないように行われた行事が、お祭りや祈祷(きとう)です。
 
 また、それを取り仕切る人が出現します。

 それが、シャーマン(巫女・・みこ)です。

 日本では、邪馬台国の女王卑弥呼が有名ですよね。

 このことから古代の人々は、天候・飢饉・病気は神や鬼神の怒りによって引き起こされていると信じて、その怒りを静める為にお祭りや祈祷(きとう)を行ったということです。

 ちなみに、この現象は中国でも日本でも同じような時代があったことから、その当時の人々が、自然に対していかに脅威に思っていたかを感じる一場面であったと思います。
  


Posted by 久保田さん  at 14:37Comments(0)鍼灸コラム

2009年08月17日

お気に入りの本『リッツ・カールトンで学んだ・・・・』





まず、この本に目がいくのは、題名がやたら長いことです。

 題名は『リッツ・カルートンで学んだ仕事でいちばん大事なこと』である。

 著者は、元ザリッツ・カルートン大阪営業統括支配人 林田正光さんという方です。

 著者は、関西を代表するガーデンレストランに長年勤めていたのですが、50歳を前に大病を患い、入院をしてしまいます。

 仕方なく1年間休職をするこになり、その間役職から外されてしまったのです。

 これを機に新天地に活躍の場を求め、50歳でザリッツ・カルートン大阪に入社します。

 そこで、長年サービス事業に携わりながらも気づかなかったことを本にまとめて紹介しています。

 さて、リッツ・カルートンといえば、テレビでも紹介されて高級ホテルの代名詞となり、私みたいな庶民に縁遠い感じがしますが、この本は“お客様が感動するサービスとは何か”と教えてくれる一冊となっています。

 その中で、特に私が注目した3点を紹介したいと思います。

 まず1点目、このホテルは、お客様の要望に対して「できません」とは言わない。

 お客様が、宿泊の予約をしたときに満室で無理な状況でも、しっかりと事情を説明し、他の空きホテルを探してお客様にお知らせする。

 2点目、お客様を感動するサービスは、気配りは最低限の必要であり、愛のある心配りができる深みを越えたサービスが必要であると考えているそうです。

 深みのあるサービスを提供するにはマニュアルを超えなければならず、そのためには、“一定の哲学を身につけ、自分がどう行動すればよいのかを常日頃考える必要がある”と言っています。

 そして、この一定の哲学を書き記したものが『クレド』と呼ばれ、カードにして全社員が携帯しており、この『クレド』という価
値感のもと、自分ができるベストの顧客満足を提供していく。

 3点目、「スタッフか幸せでなければ、お客様を幸せにできないというポリシー」を持っていること。

 どの会社でも、従業員の満足度が仕事に反映されることは分かっていても、なかなか実践される会社は少ないと思います。

 リッツ・カルートンでは、従業員をホテル内部のお客様と考えているそうです。

 マネージャーは従業員に敬意を払い、どんな小さな声にも耳を傾け、支援していきます。

 そうゆう環境が整えれば、従業員は外部のお客様に対しても前向きにおもてなしができるようになると考えているようです。

 以上、私が興味を持った点をお話しましたが、この本は読みやすく勉強になる一冊です。

 皆様も興味がありましたら、ぜひ読んでみてください。

 新しい発見があると思います。  


Posted by 久保田さん  at 14:35Comments(0)院長の独り言

2009年08月12日

『聞き上手』は誰からも好かれる!!

 平成21年7月16日にケアマネージャーさん達の勉強会に出席しました。

 この時にテーマは、『傾聴(けいちょう)』でした。

 『傾聴』とは、「人の話を漠然と聞くのではなく、一生懸命になって聞く」という意味が含まれています。

 この『傾聴』という言葉は、介護の世界ではよく使われる言葉です。

 一般的には、人の話を聞くのが上手な『聞き上手』が当てはまると思います。

 でも、多くの人が話しを聞くよりも自分の話をしているほうが気分がいいはずで、話を聞くには忍耐力が必要となります。

 それに、自分を理解してもらうには、こちらの方からアプローチをかけ、説明をした方が良いと思ってしまいます。

 話を聞くだけで、好かれるとは思わないでしょう。

 しかし、人間についてよく知れば、そのことが理解できます。

 今回講師をしてくれた先生から、次のようなお話がありました。

 心の健康の三大栄養素として、①存在認知(わっかってほしい)②自己重要感(認められる)③自己肯定感と有用感が必要である。

 簡単にいえば、自分の存在を認めてくれて、理解してくれ、大切に思ってくれることで、精神の満足感が得られるということでしょうか。

 話をするということは、個人として認められたい、感情を表に出したい、批判や判断せず、話の腰を折らずに共感してほしい、自分で選択・決定しいたいという意義がある。

 一方話を聞くことの大切さは、自分のことをわかってもらえたという安心感を抱き、聴いてくれる人に信頼感、好意が生まれる。

 そして、話し手の心が軽くなってプラス思考になり、自分で答えが出せるようになる。

 皆さん理解できましたか?

 こう考えると人から好かれるには、相手の話を聞いた方が良いことになります。

 そうしたら、いつ自分の話をしたらいいんだと疑問になるかもしれません。

 でも、大丈夫です。一般的な人でしたら、自分が喋りすぎた場合は、相手の話も聞かなければいけないと思うようです。

 その時、あなたが話しをすれば、相手は好意的にあなたの話を聞いてくれ、理解を示すでしょう。

 人間関係をスムーズを上手くいくためにも、『傾聴』を利用しない手はないと思います。

 皆さんも日常生活ので、実践してみてはいかがでしょうか?

  


Posted by 久保田さん  at 14:42Comments(0)介護

2009年08月10日

2回目のf-Biz訪問です。




            (所員の安川さん写真を撮っていただき、ありがとうございました。)


平成21年8月5日(水)、f-Biz(富士市産業支援センター)に行ってきました。

 今回は、所員の安川さんの呼びかけによりまして、意見交換を目的に訪問させていただきました。

 f-Bizに訪問するのは、今回が2回目となります。

 さすがに、2回目となると少しリラックスした気持ちでいけました。

 面談時間が午後1時ということもあり、センター内は静かでしたが、入室すると安川さんが気づいてくれまして、交流スペースのテーブルを囲み意見交換を行いました。

 前回の安川さんの面談意向、安川さんが私のブログをよく見ていてくれて、興味を持って見てくれていることにありがたく思いました。

 私のブログは、結構こてこての東洋医学の内容を掲載してあるので、見ている皆さんは理解してくだるのか正直不安な面のあったのですが、安川さんのお話を聞いて“ホット”しました。

 安川さんとは、今後とも時々意見交換を行っていく事を確認し、今回の話し合いは終了しました。

 今回の意見交換を通じて感じたことは、これからもストレートに分かりやすい鍼灸の記事を掲載し、興味を持っていただいて当院に受診につながるようにしていきたいと思います。

 そして、できるだけ多くの方に鍼灸治療を受けていただき、鍼灸の素晴らしさを伝えて行きたい。

 と、そんな思えた今回のf-Biz訪問でした。

  


Posted by 久保田さん  at 15:32Comments(0)院長の独り言

2009年08月07日

お気に入りの本『好かれる話し方 嫌われる話し方』





この本は、三笠書房の知的行きかた文庫の本である。

 この知的行きかた文庫は、安価の値段ではあるが、知識がいっぱい詰まった本が多く、私の好きな文庫でもあります。

 今回紹介する本は、『好かれる話し方 嫌われる話し方』というタイトルがついた本です。

 著者は、話力総合研究所・所長の永崎一典(ながさきかずのり)さんという方です。

 私自身話し上手ではないので、勉強になるように購入し、読んでみたしだいです。

 この本の中で、好かれる話し方に欠かせない「心の持ちよう」についてされており、やはり話の内容も大切だが、心の持ちようで相手に伝わることが違ってくることに興味を持ちました。

 その話す時の「心の持ちよう」について、本から抜粋して紹介したいと思います。

①“マイナス”面にこだわらりすぎない。
 明るく、マイナス面にこだわりをもたないこと。ものごとを肯定的に見ること。ものごとを楽観的に見る人は、当事者だけでなく、周りの人まで楽しくする力をもっているものだ。楽観性は対人関係を明るくする元火のようなものだ。

②どこまで自分を“オープン”にできるか
 人間は、わからないものに対しては相当な警戒心をもつものだ。「何かあるぞ」と思うと、気楽につき合うわけにはいかない。だから、力まず自分の素直にだせばよい。包み隠しがなく、気さくな人とは楽しくつき合える。

③自分を“実力以上”にも“実力以下”にも見せなるな。
 必要以上に卑屈になるものも息がつまるが、自分を過信する尊大な人とも自然なつき合いはできないものだ。どんなにつくろっても自分を実力以上にだせない。自分のよさも素直に認めたらよい。そのほうが相手は誠実さや好意を感じるものだ。

④自分が苦しいときでも、“他人の立場”に立てるか
 安井かずみさんが自著の中で、「ガンをいただいて、人の痛みがわかったことのありがたさ」と書いている。人の痛みがわかるということはこれほど難しいことなのかもしれない。だからこそ共感できる人は他人の立場にたてる人であり、他の痛みがわかる人なのである。ゆえに他人から好かれるということになるのだろう。

⑤時に「目をつぶる」やさしさがあるか
 人間はみな不完全なものなのに、ともすると他人のアラやマイナス面だけが気になってしまう。お互いに無力な者同士が肩を寄せ合っていきているのだから、多少のことは目をつぶって許しあうようになりたい。寛容で、度量が広く、何事にも善意にとることのできる人は貴重な存在だ。尊敬に値する、こうゆう人こそ好感度抜群となるだろう。

⑥目先のことだけに気持ちを“沸騰”させるな
 衝動的な動きを抑えられること。ものごとを広い視点から見ることができ、真偽、善悪、美醜などの判断ができる人が歓迎される。自分の考えに固執したり、目先のことだけを考えてりう人は自らの弱さを暴露しているようなものだ。感情コントロールができないということは、自分の世界を自ら狭くしているようなものである。

⑦とにかく“パワフル”な人に惹かれる。
 忍耐力が強く信念に生きる人、使命感に燃えている人は、頼もしく、自然と人が寄ってくる。周りの人まで元気が出てくるからだ。人間はパワーのある人のもとに集まるものだ。

⑧最低限、これだけの“約束”は守る
 どんなときでも言行一致の人というのは信頼される。安心してつき合えるからだ。約束したことろ途中で棄権しない、時間に遅れない、期日を守ることなど、身近なことに気を配ること。

⑨「軽いノリ」は意外に嫌がられる。
 軽薄な言動がなく、人間的に深さを感じる人、人柄のよさ、品位を感じる人、人間的な魅力をもった人には誰しも一目置かざるを得ない。人間的な重圧感は、魅力の最たるものだ。

⑩自分自身の“身のほど”を知ること
 自分が何者であるかをしっかりと知っていない人は怖い。自分ではできないことをできると思い込むこともあるからだ。分をわきまえておけば、恥をかくこともないし、人から認められるというものだろう。

 以上、本の中の一文を抜粋させていただきました。少し長くなりましたが、参考になる点があったら参考にしていただいて、日々の生活に役立ていただいたいと思います。  


Posted by 久保田さん  at 14:37Comments(0)院長の独り言

2009年08月05日

富士川駅内にある生け花「ひまわり」





 夏本番の季節となりました。

 夏を代表する花としてひまわりがあると思います。

 今回は、富士川駅構内にある生け花のブースにひまわりの生け花があり、めずらしさとキレイだなと思い写真を撮りました。

 花のことは、よくわかりませんが、活けた方はおしゃれでセンスのある方だなと感じます。

 この花は、駅を訪れる人に癒しを提供してくれているんだなと思います。

 皆さんも、しばし、鑑賞してください!!  


Posted by 久保田さん  at 15:31Comments(0)院長の独り言

2009年08月03日

バリデーションの講義を受けてきました。





平成21年7月6日(月)に、静岡介護労働安定センターの主催によりバリデーションの講義が開催されました。

 題は『バリデーションへの誘い』です。

 講師は、バリデーションティーチャーで、関西福祉科学大学福祉学部准教授の津村尚子先生でした。

 バリデーションは、認知症高齢者へのコミュニケーション技法として最近注目を集め、新聞に掲載されたり、NHKのテレビで放
送されたりしています。

 主に、介護者が対応に一番苦労する周辺症状(徘徊、暴言、暴力)にスポットを当て、どう対応していくかを教えてくれる技法です。

 この技法で効果が出ると、認知症の方は自分を理解してくれたと感じて周辺症状が減少します。

 一方介護する人も、認知症の方が落ち着いてくれれば、精神的安定が得られ、落ち着いた生活が送れるわけです。

 今回の講義は、最初に新聞に掲載された翌日に申し込みをしましたが、定員一杯となり、参加できませんでした。

 しかし、「主催者から反響があったので、年内にもう一度講義を開催する予定なので、予約として申し込みをしてほしい。」と言われたので、事前も仕込みをして実現にいたったわけです。

 当日は、260人の参加者がいたそうです。年配の方も多くいましたが、なかには今風のギャルもいて、幅広く興味を持たれているのだなと感じました。

 講師の津村先生は、大阪の女性らしくはきはきとしており、講義の内容もわかりやすかったです。

 また、来年2月に今回受講した人を中心に、実技演習を行うそうなので、また受講したいなと思います。

 なお、バリデーションの講義内容については、順次このブログの中で紹介していきたいと思います。
 

  


Posted by 久保田さん  at 14:20Comments(0)介護